皆既食 total eclipse (3回目)
聞いて驚くなかれ、『皆既食 total eclipse』 、3回目の鑑賞。(笑)
自分でも驚き、でも好きなものは好きで、もっと知りたくなってしまったのでそこにはつぎこむ。惜しみない。
このブログのアクセスも 皆既食の記事についてが1番多い。注目されてる舞台なんだなと記事を書いてる私が嬉しい。
実は1回目よりも2回目、2回目よりも3回目と、座席が舞台に近づいてる。今日の距離感はすごかった。前から数えて6.7列目のセンター。とってもいい席!
舞台全体も見渡せるし、役者の細かい表情まで肉眼でよく見える。
岡田将生くんがふかしているパイプの煙の匂いがするくらいの距離。舞台演出の蝋燭がすこし煙たいくらいの距離。
そして、1回目よりも2回目、2回目よりも3回目の方が、よく泣いている。ていうか今日はもう、とっても泣いた。ないてしまった!
1回目は正直よくわからなかった。背景を知らなかったし、岡田将生くんを生で観るという目的に集中していたから。
2回目はランボーの詩を読んだり、背景について調べてから見た。さらにその時期に、私事だが、プライベートで依存していた相手から離れなければいけないようなイベントが起きた。その時の想いと、ランボーとヴェルレーヌの苦しみや共存や愛や憎しみやどうしようもない気持ちが重なって泣けた。もうポロポロ泣けた。たまらなかった。
そして3回目の今日。初めて肉眼で全てを観れる距離にきた。別れの時のとても複雑そうな表情や、手のひらにキスをした後のランボーの悲しみの表情。そのどれもが本当に心にグッときてしまった。グッッッとき過ぎて、ボロボロ泣いてた。最後の20分くらいは本当にずっとボロボロ泣いてたかもしれない笑
そして、わたしが好きな瞬間。
最後にいつもほっこりさせられる。
天然で、ぽわぽわしてて、でも演じると全く別人になる。天才かと思います、岡田将生。
そういえば、
3回目の舞台に備えて、この本を読んだ。
序文に好きな文章があったので引用。
『ーーーーランボーの《季節》という言葉をつかわないで言うとすれば、耐えがたい継続時間と抗しがたい瞬間とにとって、ブリュッセルのピストルの一撃がフェルマータとなった。事件における茶番は悲劇を倍加するおそれがある。パロディとか下手な芝居が、人を傷つける真実や涙をさそう結末を演じた場合のように。終わりという言葉のひびきは、二人の主役の心にながく留まることになろう。ヴェルレーヌにとっては心を引き裂くこだまとなって、ランボーにとっては抹殺した暴力の余韻として。記憶、対、忘却、延ばし延ばしの帰還と引き換えの持続、対、決定的断絶。共に身を挺した冒険から、こんなにも強い親近感から、理性と不条理の共有から、そして結局は夢の放棄から、両者のいずれも無傷では抜け出せない。』
いいね。とてもいい。
舞台の余韻にひたり、ねむろう〜